活動日誌−大村よしのり

【09.04.14】沢田先生の被爆体験

   私の尊敬する沢田昭二先生(名古屋大学名誉教授)の被爆体験をご紹介します。先生は、原水爆禁止愛知県協議会の理事長として活躍されていますが、親しくおつきあいさせていただいています。(画像は、今年2月の愛知県原水協の定期総会であいさつする沢田先生)

 は る か に 呼 ぶ 母 の 声
                        沢田 昭二
 「早く逃げなさい」
 「ごめんなさい。おかあさん」
 迫ってくる炎の中で、母とかわした最後のことばは、今も私の耳の中に、そのまま残っている。
 原子爆弾が広島に投下され、母を失ったのは、私が中学二年の時、母は三十六だった。
 母はからだが丈夫な方ではなかった。むしろ、よく病気をしていた。しかし、いま思いかえしてみると、しっかりした女性だったのではないかと思う。戦時中のことだから、何もとりたててごちそうをするわけではなかったが、父や母の郷里から広島に来て働いていた若い人たちが、つぎつぎと母を慕って遊びに来た。私たちの教育にも細かく気を配っていたようだが、直接、机のそばに来てくちばしを入れてはこなかった。どうやら、近ごろの教育ママのようでもなかったらしい。そのために、私は学校の成績など気にかけず、好きなものだけのびのびと勉強することができた。
 戦争が激しくなってきて、配給の食糧は少なかったけれど、父は不思議に徴兵から逃れていたし、限られた中での幸福な暮らしが、しばらくは続くように思えた。
  火が迫ってくる
 原子爆弾が炸裂したとき、母と私とは同じ部屋にいた。同じ部屋にいて私は眠っていた。ピカッと光ったのも、倒壊した家の下敷きになったのも、全く知らぬ一瞬のでき事であった。折り重なる壁土や材木の中から、やっとのことで這い出したところは、あたり一面、黄色い空気の立ちこめた、不気味な廃墟の世界だった。ところどころ小さな炎が燃えていた。
 茫然として立ち上がったそのとき、はるか下の方から私の名を呼ぶ母の声がした。距離がそんなにあるはずはないから、潰れた屋根や、幾重にもかさなった壁土が声をさえぎっているらしかった。母は足を太い梁か柱に挟まれて、動きがとれないでいることがわかった。折れた柱を引き抜こうとした。壁土をめくりとろうと力いっぱい押し上げてみた。しかしとても手に負えなかった。おとなに助けを求めたがだめだった。負傷した人びとは逃げ出すのが精いっぱいであった。
 はじめは小さく燃えていた炎は、次第に大きく広がってきた。あたりに火が迫ってきたとき、 
 「あきらめなさい。かあさんはいいから、早く逃げなさい」
遠いが、きっぱりとしたこの言葉が、私に母を残して立ち去る覚悟をさせた。
 跡かたもなく破壊された建物の屑が折りかさなって、道路はなかった。瓦や板ぎれや壁土の上を歩き、川を泳いで川原にたどり着いた。川原に突っ立ったまま、炎に包まれた天を見た。煙は雲につながって頭上をおおっていた。そしてその下にいる母を想像して、はらわたがちぎれる思いがした。
 「何とかして助け出すことはできなかったか?不可能ということはなかったはずだ」
 無念と悔悟の涙が目にたまった。
 母のことを思い浮かべるそのたびに、二十余年を経た今も、変わらぬ同じ思いに、一度は沈んでしまう。
   原子物理学を学んで
 戦争が終わり、世の中は一変した。科学と技術の発展はとくに目覚ましかった。私たちの生活を科学の成果から切りはなして考えることはできなくなった。母が生きていて、今の暮らしを見たら何というだろう。そう思うと、またしても、母を助け出せなかったことが残念でたまらなくなる。
 その後、原子物理学を学び、原子核物理学の研究をするようになった私は、科学の発見した真理を、人類の福祉と平和のためにのみ役立たせるために、科学者に課せられた責任が大きいものであることを知った。原子爆弾よりもはるかに強力な水素爆弾が生まれ、核兵器によって戦争を抑止できるという幻想から、とどまるところを知らぬ核武装競争が今日まで続いてきた。この核兵器を背景に、今なおベトナムでは皆殺し戦争が行われている。罪のない母や子がボール爆弾で殺され、ナパームの炎で焼き殺されている。人類が、核兵器による共滅の危機から抜け出すためにはこうした戦争そのものをなくさなければならない。そのために、戦争の真の原因が何であるか、戦争を求め、核兵器を必要とするものは何であるかをあばき出さなければならない。核兵器の使用を抑えてきた力が、真に平和を求める人びとの一致した意志であることを確認し、平和の力が戦争の力に打ち勝つまで強められねばならない。こうしてはじめて、ふたたび原子雲の下の生き地獄の中で、母と子が悲痛な声で呼びあうことをなくすことになる。
 夏を迎え、身動きもできぬまま、炎につつまれていった母のことを思い浮かべるたびに、このことを痛感するのである。
                   (『子どものしあわせ』1968年8月号より)

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