活動日誌−大村よしのり

【12.08.03】国際会議2日目、分科会で発言しました

   国際会議2日目、私は、「被爆の実相の解明・普及、被害者援護・連帯、核被害者との連帯、放射線被害の根絶」の分科会に参加しました。上の画像は、分科会の司会をつとめたノルウェーのウルスラ・ゲリスさんと交歓しているところです。
 私は、分科会で、次のような発言をしました。発言要旨を紹介します。

 1, 核軍縮の人道的側面というアプローチと被爆者
2015年のNPT再検討会議を核兵器禁止条約の実現という形で決着させるためのアプローチに関して、被爆者のはたす役割が大変大きいという事を発言したいと思います。
 午前中のノルウェーのラース・ガウプセットさんの発言で人道的影響に関する会議をノルウェーで開催するという事がありました。また、原爆症認定訴訟弁護団の宮原さんからは、今年の再検討会議の第1回準備委員会で人道的側面に関する共同声明にふれながら、国際人道法に照らして核兵器禁止条約に発展させていくアプローチの強調がありました。大賛成であります。2013年の準備委員会で、核軍縮の人道的側面という角度を正式に議題に入れさせれば、2015年の再検討会議で大きく前進させることができると思います。
 人道的側面という場合、健康上の被害だけでなく、被爆者が受けた社会的影響という側面も抜きにはできないと思います。その点で、愛知の原爆症認定裁判をたたかっている長崎で被爆した高井ツタヱさんの裁判での陳述を少し紹介したいと思います。裁判での陳述書を私は、傍聴席で本当に胸を締め付けられる思いで聞きました。
 高井さんは、被爆を隠して結婚し、3人の子どもを産んだこと。夫はツタヱさんの被爆を知らぬまま54歳で他界したが、ツタヱさんは毎日位牌に花を添えて詫びていること。子どもが少しでも体調を崩すと被爆の影響が心配で病院に連れて行くのが怖く、心の中でごめんなさいと泣いた事。自らも、甲状腺の機能低下や白血球の減少で体が弱り原爆症認定の申請を出したが国からは「原子爆弾の放射線に起因していると判断することは困難」として却下されたこと。
 核兵器は、かくも長期にわたり、残酷なかたちで人間を苦しめるものです。しかし、核保有国は、核兵器を使用しても、それは、限定的な被害にとどまるものだと言い張ります。なぜなら、広範囲に放射能の被害が及び、何十年も時間を越えて影響を及ぼす兵器は人道に反する兵器であり、製造も使用も禁止されねばならない。だから、事実を隠し、内部被爆もない、限定的な被害にとどめておきたいのであります。
 被爆者の体験から、国際人道法に反している点を強く告発し、核兵器禁止条約の成立に結び付けられるように奮闘しようではありませんか。

2,被爆体験を引き継ぐために
 核保有国が様々な理屈をつけて、核兵器の影響を過小評価でごまかそうとしてきましたが、事実でそれを打ち破ってきたのが日本の被爆者です。被爆者は自らを苦しめる原爆の被害について、その怒りの矛先を報復に求めるのでなく、核兵器の廃絶に求めました。この高い倫理観に、何度もノーベル平和賞候補にあげられてきました。
 私たちは、この被爆者の志を受け継いでいかなければなりません。
 「戦争を知らない子どもたち」の作詞をした北山修は、かつてこのような事を言っていました。この歌を歌うと、必ず「戦争の恐ろしさも知らないくせに何が平和だ」と非難の声を耳にした。北山は、その時、次のように語ったと言う。「戦争を知らない子どもたちはもうすぐ父や母となる。そんな時、平和の重要性と反戦の必要性を、我々の親父やおふくろの思い出と共に語ってやらねばならない」と。
 愛知県原水協では、若い世代が被爆者の被爆体験を聞き、それをDVDに記録する「きき撮プロジェクト」という活動を行っています。今回、その内容を編集し、英語字幕もつけて「ききプロ DVD」を作成しました。世界大会に間に合うように作成したものです。ぜひ、海外代表に贈りたいと思います。

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