市議団だより−豊田のまちから

【09.05.19】藤岡に戦争の遺跡を訪ねて

恒例の平和リレー講座です

   先の太平洋戦争の末期、一億国民総動員体制の下、学生たちにも戦争の参加が強制され、愛知一中(現旭丘高校)の校長が、海軍予科練への志願を強く促したところ、四、五年生が全員志願に応じたと、昭和十八年七月六日の朝日新聞が「快挙」と報じました。
 しかし、この報道に接した、愛知一中出身で、海軍兵学校に在学中だった、成瀬謙治は、校長にあてて次のような手紙を送りました。
 「一中全生徒を予科練に志願させることは、無意味であります。生徒一人ひとりは、それぞれ異なります。能力に応じた道に進ませてください。それでこそ本当に国に奉ずることとなります。この戦争で死ぬのは、私たちだけで十分です。」
 この時代に、驚くきべき勇気ある進言です。この成瀬謙治という青年兵士。藤岡町の出身です。この直後に、回天特攻隊として戦死します。
 藤岡には、彼に関するいくつかの遺跡が遺されています。四月二十六日、平和リレーでこれらを訪ねてきました。詳細は、今年の戦争展で展示されます。

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