市議団だより−豊田のまちから
【11.08.26】後援会バス旅行で行く「山宣」の碑を訪ねて・・10月1〜2日
初めての日本共産党員の国会議員は誰でしょうか。山本宣治です。
1928年日本で初めての普通選挙が行われました。当時、日本共産党は非合法政党とされていました。その共産党から要請を受けて合法政党であった労農党として京都2区より立候補して当選しました。
戦前の帝国議会において、共産党などが訴えた国民主権の政治主張を「死刑」に処するとした治安維持法の改悪にただ一人反対しました。そのため、右翼のテロリストにより暗殺されました。
山本宣治は、暗殺される前日、大阪の全国農民組合大会で演説しました。
「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」
この演説は墓碑銘に刻まれています。
亡くなった山本宣治は、日本共産党員としての資格をもって葬られました。
バス旅行で訪ねる墓碑は、この演説文が刻まれた碑です。
※下の画像は、2009年1月に大村市議が山宣の碑を訪ねた際のものです。