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【04.07.25】終戦前日、その日とよたは戦場だった

トヨタに投下された原爆模擬爆弾

 一九四十五年八月十四日、終戦前日のその日、とよたは戦場でした。その日、米軍B29爆撃機は、トヨタ自動車を標的にして、3発の「原爆投下の実験弾」である5トン爆弾を投下しました。そのとき、陸軍東条英機軍需大臣の直轄管理下にあったトヨタは事前にトヨタ爆撃をキャッチし1万人以上の関係者(従業員、養成工、学徒動員、女子挺身隊など)は避難完了し、1人も死傷者はなかったと言われています。
トヨタは国家総動員法・軍需会社法によって重役会議を解散させられ生産責任者は豊田喜一郎であり、その時すでにトヨタは極秘裏に軍によって半地下工場の完成を本土決戦に備えて急いでいたのでした。その規模は現在のサッカー場の8割に近い大規模なもで、長興寺、今、平山、御立、古瀬間などへ計画実行に移していました。
トヨタ爆撃の直前に、名鉄竹村駅近くで乗客の乗った電車が、米軍機によって銃撃を受けました。この事件の犠牲者はトヨタ病院に搬送(その他は安城市の更生病院へ)されましたが、空襲警報下で対応と治療はあとまわしになり、死者続出、被害拡大につながったのでした。
これまでのすべての戦争の犠牲は一般市民に圧倒的にかかってくる事を忘れてはならない。

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