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【04.09.12】原爆投下作戦の歴史に豊田市が

市議会質問で大村市議が指摘

 大村市議は、被爆60周年にかかわる質問にあたって、次のような原爆投下作戦と豊田にかかわる歴史的事実を示しながら、質問しました。
 来年は、被爆60周年であります。終戦の前日、1945年、8月14日、豊田市に3発の原爆の模擬爆弾が投下されました。トヨタ自動車を標的としたものでありました。3発のうち、1発目は、前山社宅の南側、2発目は矢作川と巴川の合流点の上流の右岸、3発目はトヨタ本社の敷地内でした。
これは、後に公開された米軍の資料「日本の攻撃目標における1万ポンド爆弾の効果」という書類によって明らかになったものであります。さらに、当時、直接、豊田に爆弾を投下したフレデリック・C・ボック元アメリカ空軍中佐の書簡によれば、この爆弾は、長崎に投下された爆弾・パンプキンと呼ばれたものと同型のものにプルトニウムの代わりに通常の高性能火薬を詰めたものだった事、この攻撃部隊は、原爆投下を担当するマリアナ諸島テニアン島にあった大隊に所属してその作戦の中で訓練を行い攻撃を行っていた事などが記されています。
この書簡は、ボック氏から、トヨタ自動車最高顧問の豊田英二氏に送られたもので、豊田英二氏が、昨年、「平和を願う戦争展」を開催した市民団体でつくる実行委員会に資料として提供されました。我が豊田市も、米軍による原爆投下計画と無関係ではなかったのであります。
現在も世界で続く核戦争の脅威。これを防ぐために大切なことは、原爆が使われた時いったい何が起きるのかを世界の人々に話していくことではないでしょうか。被爆の実態を具体的に伝えていくとが大切ではないでしょうか。このように、私は考えています。

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