3月29日、愛知県会議員選挙に立候補しました。
私は、5期20年の豊田市会議員の活動を通じて、子どもの医療費を中学校卒業まで無料にするなど、「税金の使い方を福祉・教育優先に切り替える」実績をあげてきました。
市域の3分の2を森林が占める豊田市で、県が行うべき土砂災害の対策は、今のままの予算では200年かかってしまいます。
市議の経験で実感したのは、「西に厚く、東に薄い」県政です。今の県政を「市民の目線」と「三河の声」で変えたいと決意しています。
被爆2世である私の政治活動の原点は、「反核・平和」です。県政に平和行政の基本軸をしっかりと位置づけられるように頑張ります。
私の歩み
私の政治活動の原点は「反戦・平和」
私の父は、戦前、軍隊の徴兵で長崎におり、地獄のような長崎の被爆地で被爆者の救援活動にあたりました。
学生時代、原水爆禁止の平和運動に取り組むようになった私は、一方で、日本軍による南京大虐殺の事実を知って日本人の「戦争責任」を深く考えるようになりました。そんな時、侵略戦争反対を命をかけて貫いた政党があることを知り、心が救われるような思いになりました。それが日本共産党との出会いでした。大学3年生の夏、21歳でこの党に入党しました。
お母さん達と一緒に消費者運動
大学卒業後、みかわ市民生協に入り、消費者運動として無農薬野菜や無添加ハムの共同購入の活動に取り組みました。また、一般消費税(現在の消費税)反対運動や食品添加物規制強化を求める自治体請願などに取り組み、生活者の視点で政治を変える必要性を強く感じるようになりました。そんな時、日本共産党から衆院選挙に西三河地区から(旧愛知4区)立候補して欲しいと要請されました。
「六転び 七起き」で市議に当選
1990年の衆院選立候補以来、参院選、豊田市長選挙など、市議当選までの10年間で7回の選挙に立候補し、1999年の市議選で初当選しました。現在、市議5期目です。
現場の声を大切に
市会議員として、「現場の声を大切に」という気持ちを忘れずに活動しています。
豊田市は、大企業優遇、大型ハコモノによる税金の偏った使われ方が際立っています。豊田スタジアムには、毎年平均9億円の税金が「赤字補填」でつぎ込まれています。トヨタの巨大なテストコース建設、豊田市駅前の再開発ビル建設など、問題点を明らかにするために、現場に足を運んで、市民に伝え、市民とともに考える事を行っています。市議会で、現場の声を基に提案してきました。
弱い立場の人たちに光を
弱い立場の人たちに光を当てる事こそ、政治の役割。そんな県政をつくるため、力いっぱい頑張ります。ご支援を心からお願い致します。
略歴
- 1956年生まれ。愛知大学文学部卒業。大学三年生の時に日本共産党に入党。卒業後、みかわ市民生協に入り、消費者運動に取り組む。みかわ生協労組の結成に参加、初代委員長
- 1988年、旧衆院愛知四区からの立候補を要請され、生協を退職して立候補。その後、参院選、豊田市長選などに立候補
- 1999年に市議初当選、現在5期目。党豊田市委員長
- 家族…梅坪町に妻と二人暮らし
- 趣味…合唱
- 好きな言葉…義を見てせざるは勇なきなり
- 好きな食べ物…うなぎ
- カラオケで得意な曲…「いとしのエリー」